
360: 名無しさん@おーぷん 2014/07/31(木)14:55:41 ID:wmPTdTaRu
私と兄と姉は幼い頃、父から虐待を受けてた
殴られるなんてあたりまえ、姉はストーブの上に乗せられたり私は熱湯をかけられたり
兄は鼻が折れるほど殴られたりしてた。母親はかばってくれた。母の体も痣だらけだった
父親が働かないので母が夜のお仕事をして私たち兄弟を支えてくれた。
当時給料は日払いか手渡しの時代だったのでお金が入ると母親から無理やりとり
ギャンブルをしてすべて使ってしまうので母親は家のいろんなところに隠してた
お金の場所がわからないと父はイラつき私たちにあたり散らしありかを知らされていた
兄にお金の隠し場所はどこだといって殴りまくってた。兄は絶対に口を割らなかった
母親は離婚を考えていたが、兄や姉が苗字が変わってしまい、転校するのはツライと
母親に伝えていたので母はためらっていた。
ある日、兄の担任の先生がきて兄の様子がおかしいと言われて、母は家での事情をすべて話した
子供の環境を考えると離婚を視野に入れたほうがいいのではと話され、転校するなら
転校先の学校に根回してツライ思いをさせないようにするからと担任に説得されたそうだ
それからしばらくして父親が闇金にお金を借りて払えないので母と私たちを置いて逃げた
当時、弁護士とかそういうのは当たり前じゃなかったので払う義務がないはずなのに
母が払うことになった。
母の姉にお金を借りて引っ越し、父とは離婚成立。母は私たち3人を抱えながら
数百万の借金を返す生活を余儀なくされた。朝から夜中まで働き、私も幼いながらも
母が大変なのがわかったので兄弟協力して家事をやり生活してた。
片親だからといって母は子供に不憫な思いをさせまいとして運動会の日は朝3時から
起きて場所取りとお弁当作りなどをしてくれた。お肉はほとんど食べたことなかったけど
運動会のときのから揚げとウインナーとおっきなおにぎりは本当においしかった。
しばらくして私たちも大きくなり、末っ子の私も中学生になっていた
そのころ家に父から電話がかかってくるようになり、母に金の無心をしていた
それに腹を立てた私は父から電話が来るたびに「どの面下げて電話してくるんだ。
死ねよてめえ」などと罵声をあびせて電話を切ると父は母の職場に電話をしてきて
「どういう教育してるんだ」と「金よこせ」などと迷惑をかけるようになった
当時、まだ中学生で母に迷惑かけてしまった自分を責めてると兄が「母さんとお前たちは
俺が守るから」と慰めてくれた。父のせいで母は職場を変えざるを得なかった。
続く
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